木曜日, 5月 04, 2006

■「つくる会」八木派が総辞職か。

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八木前会長の突然の更迭騒動ら、われわれ一般の外部のものにも知られるようになった「つくる会」の内紛・騒動はとどまることを知らないようだ。一度解任されたものの、その後の情報戦と謀略戦による巻き返しで会長復帰を前提に副会長に復帰していた八木秀次だが、その八木とそれを支援するグループに、西尾幹二や藤岡信勝らへの怪文書の「仕掛け人疑惑」が持ち上がり、再度、新会長に就任していた種子島会長とともに辞任に追い込まれた模様だ。

僕は、西尾幹二のブログで「怪文書騒動」の内幕は知っていたが、それがこういう結果につながるとは、当然と言えば当然の結果ではあるが、やはり驚きである。八木が、ブログによる西尾幹二の激しい論難にまともな反論もしないままに辞任せざるを得なかったのは、やはり、藤岡信勝の義父の共産党問題や、藤岡自身の共産党離党問題などをめぐる怪文書の仕掛け人が、本人かその周辺の人物だったということを認めた結果と見ていい。

西尾幹二が暴露した一連の怪文書が怪しいのは、「公安」とのつながりや「安倍晋三」との関係を公言していたらしいことだ。それにしても、「安倍晋三がわれわれを支援している」とか、「これは公安から得た情報だ」なとど言うセンスはひどい。そんなことまでして何がやりたいのか。「政治家ごっこ」か。たぶん、そうだろうと僕は思っていたが、やはりそうだったのだろう。

僕は、一貫して西尾幹二を支持してきたつもりなので、こういう結果になったことは歓迎する。それにしても、保守論壇で、若手論客として活躍する面々が、みっともないことをしたものである。それでも思想家、学者、ジャーナリストとして生きていこうというのだろうか。それを許す保守論壇、保守ジャーナリズムって・・・(笑)。



平成18(2006)年5月02日(火)
種子島会長・八木副会長辞任に至る議論の経過

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種子島会長・八木副会長辞任に至る議論の経過

会長代行 高池 勝彦
 
  FAX通信第172号(5月1日付け)既報のとおり、4月30日の理事会で、種子島会長と八木副会長が辞任し、4人の理事も行動をともにしました。会長・副会長辞任に至る理事会の議論の経過を報告します。

(1) 会長・副会長辞任の理由
 
  議題審議の冒頭、種子島会長が辞意を表明し、その理由を概略次のように述べました。
〈3月28日の理事会で、理事間の内紛は一切やめる、今後は将来についての議論のみ行い過去に遡っての糾弾は行わない、との方針を決めた。ところが、翌日の産経新聞が不正確な記事を出し、その取材源の追及が始まった。さらに一部の理事は、4月7日、会の活動とは関係のないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけるべきだとの提言を行ってきた。私は峻拒した。10日、八木会長の取材対応の説明と、産経・渡辺記者の詫び状を全理事に送り、これで産経問題に決着をつけようとした。ところが、12日、藤岡・福地両理事から面会を求められ、八木氏の行動について確かな証拠が出てきたとして再び査問を要求してきた。これは、私の選んだ副会長を信任しないということであり、こんなことでは会長職を全うすることは不可能であるので、辞任を決意し八木副会長に伝えた。八木氏も「精神的に限界で、私も辞めます」と表明、揃っての辞任となった。〉

  続いて八木副会長は次のように述べました。

〈この間私の問題で根拠もなく嫌疑をかけられ、執拗に追及された。私としては弁明もせず、何とか理事会で正常化出来ないものかと考えたが、この半年間、彼らとの間では後ろ向きの議論を余儀なくされ、肉体的にも精神的にも限界に達したので、副会長・理事を辞任し、正会員もやめることにした。本会は発足以来、定期的に内紛を繰り返してきたが、「相手代わって主代わらず」という言葉があるように、今回は私などがたまたま「相手」とされたに過ぎない。「主」が代わらない限り、本会の正常化は無理であり、発展も未来もないものと判断し、退会を決断した。〉

(2)藤岡・福地両理事による反論
 両理事は、「つくる会の混乱の原因と責任に関する見解」という本文6ページと付属資料からなる文書を用意し、概要次のように述べ会長・副会長の辞任理由に反論しました。

〈我々両名は、2月理事会の翌日28日から3月28日理事会までの1ヶ月間、種子島会長を支える会長補佐として会の再建に微力を尽くしてきた。3月28日の理事会では、副会長複数制が妥当であるとの我々の進言を無視し、会長はその任命権を行使するとして八木氏のみを副会長に任命した。それでも理事会の宥和を重視し、我々はその人事に同意し、二度と内紛を起こさないようにしようという精神で合意した。このまま何事もなく推移すれば、7月に無事に八木会長が誕生したはずである。
 
  ところが、この理事会直後から、会の宥和と団結の精神に反する不審な事態が 続発した。

1.3月29日付け産経新聞は理事会の内容を歪曲し、理事会で議論すらしていないことまで報道された。理事の誰かが誤情報を流して書かせたのである。

2.3月末から4月初めにかけて、西尾元会長の自宅に一連の脅迫的な内容の怪文書がファックスで次々と送られた。これについて西尾氏が自身のブログで発信する事態となった。

3.4月3日、渡辺記者は藤岡理事に面会を求め、藤岡理事に関する「平成13年 日共離党」という情報を八木氏に見せられて信用してしまったが、ガセネタであることがわかったと告白して謝罪した。6日には、謀略的怪文書を流しているのが「八木、宮崎、新田」であると言明した。

  福地理事は、事態は深刻であり速やかに事の真相を糺す必要があると判断、4月7日に種子島会長に八木副会長から事情聴取する必要があると進言したが拒否された。4月12日、西尾宅に送られた「西尾・藤岡往復私信」は八木氏の手にわたったもの以外ではあり得ないことが判明した。同日、藤岡・福地の両理事は会長に対し、八木氏が3月理事会の精神に反する一連の謀略工作の中心にいる可能性が極めて高く、その証拠もあることを説明し八木氏の聴聞会の開催を改めて求めた。会長は、1.八木氏に確かめ、事実を認めれば解任し、自分も任命責任をとって会長を辞す、2.否認すれば八木聴聞会を開く、と表明した。翌日13日、種子島、八木、藤岡、福地、鈴木の5人の会合の場がもたれ、冒頭で会長は両名の辞任を表明した。従って、前日の1.のケースであったことになる。
 
  こうして会を正常化しようとする我々の真摯な努力は水泡に帰した。
 
  この間、種子島会長は、「過去は問題にしない」と言い続けてきたが、一連の謀略による内紛の再燃は、宥和を確認した3月理事会の後に起こったことであり、現在の問題である、また、辞任の理由として、我々両理事が内紛を仕掛けたかのように語っているが、それは明らかな事実誤認に基づく責任転嫁である。〉

(3)討論の流れ

  田久保理事から、「藤岡理事は八木氏宅へのファックスにたった一言書き込んだ言葉について八木氏の自宅に赴き、夫人に謝罪した。藤岡氏の党籍問題に関するデマ情報の流布は極めて重大な問題であり、八木氏はそれを他の理事などに公安調査庁の確かな情報であるとして吹聴したことについて藤岡氏に謝罪すべきである」との発言がありました。事実関係についても、参加者から具体的な補足情報の提供がありました。

  内田理事は、藤岡理事の言動が会の最大の障害であるとして、藤岡理事を解任すれば種子島会長は辞任を思い留まるのかと質問しました。それに対し、種子島会長は、それが筋だが健康に自信がない旨述べて会長を続けるつもりはないと発言しました。

  藤岡理事は、八木氏が世間一般の基準よりもより高い倫理的規範を求められる当会の最高幹部でありながら、このような反社会的行為を繰り返したことは決して許されないことであり、会則20条の除名処分に該当するとしつつ、終戦後「天皇を守ろうとした人びとは、気づく、気づかないは別として、独善、猜疑心、悪意、流血が連鎖、循環する悲劇を繰り返すまいとしたのである」という鳥居民氏の言葉を引用して、八木氏らが「理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員と国民のために、手を結びたい」と提案しましたが、応答はありませんでした。

  議論は2時間半以上にわたって続きましたが、結局八木氏は謝罪せず、種子島・八木両氏は辞意を撤回するに至らず、辞任が確定しました。この両氏の辞任に続いて、新田・内田・勝岡・松浦の4理事も辞意を表明(松浦氏は欠席のため文書を提出)、会議場から退出しました。 (以上)
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