木曜日, 3月 16, 2006

村上春樹は、なぜ、世界中で読まれるのか?

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 村上春樹の生原稿が、作家本人も知らないままに古書店で売買され、100万円前後の値段がついていると言う。原稿用紙にしてわずか70枚ぐらいの原稿である。それが高いのか安いのか知らないが珍しい事件である。原稿の出元は、中央公論社の「海」の編集者だった安原顕らしい。安原顕は、中央公論社退社後は、書評を中心とした文藝批評のジャンルで独自の辛口批評で活躍した人だが、すでに数年前に亡くなっている。

 私がここで語りたいのは、いうまでもなく、生原稿の値段でも古書店の情報でもない。村上春樹という作家が、世界中で読まれているらしいが、その理由についてである。村上春樹が欧米やロシアなどで次々と翻訳出版され、よく読まれているということはかなり前から話題になっていたことであるが、最近は、中国や台湾にまでその波は押し寄せているらしい。いったい、村上春樹は、なぜ、世界中で読まれるのか。

 中沢けいが、「台湾キャラバン紀行」(「すばる」)といエッセイで、この問題に触れている。台湾キャラバン紀行とは、津島佑子や島田雅彦、川村湊、中沢けい、星野智幸などが中心になって頻繁に開催している作家達の国際交流企画である。主にアジア各国の若い作家達との交流が中心で、すでに韓国や中国、あるいはインド等で開催されているが、今回はそれが台湾だったということらしい。私は、こういう「文学の国際化」などということにほとんど興味がないだけでなく、むしろ内側に沈潜することによって外部という他者へと向かうべき作家達にとって、観光旅行的な色彩さえ感じられる国際交流などというものは、「百害あって一利なし」なのではないかとさえ思っているが、この文学者達の国際交流自体はますます発展しているようである。

 そこで、村上春樹の問題だが、中沢は、台湾の作家との対話の中で、一番先に受けた質問が「村上春樹についてどう思うか」だったと書いている。台湾でも村上春樹はよく読まれている。しかし、中沢は、「東京を出発する前にどこかの新聞の小さな記事で、村上春樹は世界中で翻訳され読者に受け入れられているからその作品には普遍性があるのだ書かれているものを目にして、よく読まれていることと普遍性があるのは同じ意味なのかしら? という疑問を持っていたところだった。」と書くような作家なのだ。村上春樹について考えることにどれだけの根拠と意味があるのか、というわけだ。村上春樹について考えることにどれだけの根拠と意味があるのか、というわけだ。しかし、村上春樹が世界中で読まれているという現実もまた重い。われわれに理解できない現実が押し寄せてきているのかもしれない。そこで、中沢は、こう解釈する。

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 《村上春樹という作家の作品は政治の季節の終わりを告げるような位置にあるのではないかということだった。政治の季節から経済の季節へと時代が転換する時、新しい時代の到来を告げるのではなくて、音楽で言えば転調する前の休符の手前で奏でられる一群の主題みたいな感じだが、そこでは主題は簡略化され、言わば総集編的にそれまでの主題が組み合わされて演奏されるというイメージだ。多くの人々の関心が、つまり読者の関心が政治から経済へ向けられようとしている時、そういう作家の作品が受け入れられるというのは納得のいくことだった。日本国内の状況だけで考えているよりも、周辺諸国の経済成長と合わせてその状況を考える方が、より鮮明に多くの人の関心が政治から経済へと転換して行った軌跡を捉えやすい。》
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 「政治の季節から経済の季節へ」の変化が村上春樹ブームの背景にあるという図式はかなり単純で、充分に説得的だとは言えないが、ここに、世界的な村上春樹現象の謎を解く糸口があることは確かだろう。中沢は、日本国内では、この問題は「消費と享楽という側面から捉えられることが多く、それは経済活動の側面ではあっても全体ではないという事実は見失われがち」で、「全体の流れを俯瞰するには至らない」と付け加えている。

つまり、台湾の「朱天心」という女性作家の、ある意味では素朴な質問の中に、本当の答えが見出されるかもしれない。日本人には見えないものが、経済的にテイクオフしたばかりの彼等には見えているのかもしれない。中沢は、彼女の質問に、問題の本質に素手で触れたような「輝かしさ」を感じたというが、それだけでも、この台湾での文学の国際交流は収穫があったと言うべきだろうか。
 

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